昭和27年04月22日 衆議院 行政監察特別委員会

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証人(国家警察本部警備部第二課長) 平井學
そこでまず可部の税務署の襲撃事件から申しますと、当日3月1日午前9時ごろ、古市町の朝鮮人の中心地である部落に、朝鮮人が大体180名くらい集合いたしまして、朝鮮語で演説をして気勢をあげております。10時ごろからプラカード60本くらいを手に手に持って古市町の役場にデモ行進をしております。役場で何をしたかと申しますと、別に不法行為を働いておりません。朝鮮人子弟のみの小学校分校を設置してくれ、朝鮮人の専任教師を雇つてもらいたい、教育費の負担をしてくれ、こういう3点を中心に要求をいたしまして、11時30分ころ引揚げております。ところがその後約60名くらいが三々伍々、この古市町から可部町へ来る――距離が5キロくらいあると思いますが、バスまたは電車等によりまして可部町に行きまして、可部税務署に押しかけた。そこで署長がおらなかったものでありますから、署員に対して密造酒の取締りの不当をなじり、一応合法的な談判――陳情と申しましてもはげしい陳情であります。談判をやりまして、そこまではよかったのでありますが、帰りぎわに150CC程度のびんに入った催涙液、これは後ほど鑑識で分析してみますと臭素クロームとアセトンの混合液だそうでありますが、これを帰りぎわに事務室の机の上に投げつけて、さっと引揚げてしまったのであります。この液は後ほど税務署員が医師の診断によって見てもらいますと、急性眼瞼結膜炎、急性刺激性咽頭炎を起させる液体だそうであります。そこへ私服警察官が2、3名、警戒と署に対する連絡の意味で派遣されておったそうでありますが、帰りぎわにびんをいきなりぱっと投げてそのままさっと引揚けたので、警戒員が本署へ連絡して本署から警察官が来たときには、すでにもう引揚げて逮捕できなかった、こういうのが実情であります。

次にこの可部税務署を襲撃した一隊と思われる者が、今度可部からただいま申しました4キロないし5キロばかり離れておるところの古市町に現われまして、古市町から今度はさらに約1.5キロほど離れた祇園町、ここは警察署の所在地でありますが、祇園町の役場に行きましたけれども、町長がおらなかったために事なく引揚げております。

次にこの一隊が、さらに午後1時半ごろ安佐地区警察署へ押し寄せております。これは密造酒取締りの不当について署長に談判するというので、署の前へ集まったそうでありますが、署長の方で解散を命じたので、これは何らなすところなく解散をいたしましたけれども、それから先約130名の者が、徒歩で広島市に向って出発をしております。これは午後2時50分ごろ解散したという報告でありますので、およそ距離が8キロ、約2里少々の距離でありますが、徒歩でぞろぞろと広島市に向ったのであります。しかもこの半分以上は女子並びに子供の一隊であります。それで警察の方でも、いわゆる型にはまった集団デモ行進というふうには見ずに、いささか軽く見た節があったのではなかろうかと思っております。この旨は同時に電話で広島市警の方には通報はいたしてあります。

次に安芸地区署管内の状況を申しますと、やはり午前11時半ころ、安芸地区署の朝鮮人部落の中心地である船越町、この民線の地区事務所に朝鮮人約60名が集まりまして演説を行い、気勢をあげまして、正午前ころプラカードを40本くらい立てまして、海田市税務署に参っております。この海田市税務署というのは、この部落から徒歩で約20分くらいのところであります。海田市税務署に参りましてこれは税務署長がおりまして、これに対して密造酒取締りを緩和せよ、われわれの生活を破壊するなというような要求をしたのでありますが、午後1時半ころになって、税務署の方で退去要求をいたしました。それまでは合法的な談判に終始したのでありますが、署長が退去要求をいたしますと、この60名ばかりの朝鮮人が引上げぎわに、玄関のところと応接間のところに2本同様の催涙液入りのびんを投げつけてぱっと退散したのであります。当時警察の方でも不法行為を予期しておったのでありますが、彼らの行動は、いわゆる合法と非合法のすれすれのところを巧みに行くという戦法と思われますが、談判に終始すると見せかけておいて、帰りぎわにさっとこういうびんを投げつけて行くという、実にすばやい巧みな行動に対して、実は警察の方で逮捕するのが間に合わなかったように聞いております。